2012年4月16日月曜日

タスマニアで生きる人たち : サリー・マンとラリー・クラーク


最近、僕が撮る写真の中で平均点が高いのは子供たちを被写体にしたときだ。
理由は分かっている。
子供たちを見る時、自分の子供を見るように彼らを見ることが出来るからだ。
自分の子供と接するように彼らと接することが出来るので被写体のとの距離が近い。
自分の奥さんが妊娠すると世の中にはこんなに妊婦さんが歩いているのか、とはじめて気がつくように自分に関わること、関心があることは他の被写体よりよく見えるものだ。
こういうものにレンズを向けるのは深みのある写真を撮るための近道だろう。
そういう意味では写真を撮る人は関心事が多ければ多いほどただきれいに見えるだけではない写真を撮るチャンスが増えるのかもしれない。
しかし、僕のように狭い視野でしか物事を考えられない人間にとって興味の対象を広げるのは苦しい修行以外の何ものでもない。

ソーマがはじめてこの世に誕生した時、ソーマの母親は僕にサリー・マンの写真集をプレゼントしてくれた。

サリー・マンはアメリカ、ヴァージニアの田舎で子供たちと幸せに暮らす素敵な女性だ。
彼女は自分の身近な人たち、特に自分の子供たちをモノクロの写真で記録していった。
ただ、普通の記録写真とちょっと違うところは8x10の大判カメラを使ってそれをやったところだ。


フィリップ病棟では、何

コンパクトカメラと一眼レフ、デジカメと銀塩、使うカメラによって写真は大きく変わる。
写真芸術は恐ろしいほど道具に左右されるのだ。
8x10の大判カメラという一枚撮るのにイヤになるくらい時間がかかるカメラであのちょこまか動く子供たちをフィルムに収めるという行為は神懸かり的行為に他ならない。
それはサリー・マンの努力だけでなく、モデルになる子供たちの深い理解と協力というコラボレーションとして成り立ったはずだ。
大人が真剣に撮る時、子供もそれを察知し、それに応えようとすることを僕は知っている。
家族写真という分野の写真でサリー・マンの作品以上に美しい写真を僕はまだ見たことがない。


あなたは時にしたものです。

子供たちを撮るという意味でサリー・マンと好対照の写真家はたぶんラリー・クラークだと思う。
サリー・マン同様、ラリー・クラークも子供たちを被写体にした写真家として伝説的存在だ。
1960年代、ラリー・クラークはアメリカの片田舎でドラッグ、セックス、アルコールそして暴力にまみれた若者たちの生活を自分も仲間の一人として彼らの中に入り、その様子を記録した写真集「タルサ」を発表した。
それは衝撃的な写真界デヴューだった。
その後、写真集「ティーンエイジ・ラスト」では十代の性を写し、映画監督としても何本か作品を世に出している。
彼は本物の不良だ。もうかなり年をとっているが永遠の不良少年なのだ。
ライカにフィルムを詰め込み、常に自然光を使って荒々しく、しかし繊細に切り取られた彼の作品たちは彼の生き方そのものだ。
彼は十代の少年少女の姿に自分自身を見ている。
彼が追いかけている被写体が自分そのものなのだから他の人には絶対に真似できない写真が撮れる。

彼がインタヴューで残した印象的な言葉がある。


学校を通して行っていない学生ローン

「写真家について最大の問題は、いい写真家はいっぱいいるけど、彼らには写真に撮るべきものが何もないってことだね。それが俺の違うところさ。それがどんなにばかばかしくても、俺には写真を撮るべき経験があった。ほとんどの連中はそういう経験がぜんぜんないんだ。みんなどうしていいのかわからないのさ」

ーーー「デジャ=ヴュ」第13号からの抜粋 ーーー


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美しいサリー・マンの写真も、過激で生々しいラリー・クラークの写真も作品に登場する子供や少年少女が裸であることが多い。
裸であるどころか、ラリー・クラークの写真に登場する少年少女は腕に針を突き刺し、レンズの前でセックスしている。
サリー・マンの作品に登場する子供たちがミッキーマウスやスパイダーマンのTシャツを着ていたとしたらたぶん今日まで語り継がれる写真にはならなかったし、ラリー・クラークが倫理的なことを考える人間だったなら少年少女は彼を仲間として自分たちの生活には招き入れなかっただろう。
結果的に今僕たちはかけがえのない素晴らしい作品を見ることが出来る。
裸でカメラの前に立ちたくない、という意思をサリー・マンの子供たちが示した時、彼女はきっぱりと彼らの裸体を撮ることを止めてしまった。
ラリー・クラークはご老体だが相変わらずニューヨークで少年少女とスケートボードで遊んでいる。
彼の「ティーンエイジ・ラスト」に出てくる作品で車のシートにペニスをたてて横たわる少年と、そのペニスをにぎって少年にキスをしている少女の写真がある。
この写真が発表された当時は相当スキャンダラスだったに違いない。
しかし、永い時を経た今この写真を見るといやらしさどころか、青春の美しく、ピュアーで壊れやすい一瞬の輝きがみごとにフィルムに定着されているのが分かる。
今を生きる子供たちの美しい姿を10年後、100年後に生きる人たちが写真を通して見ることはもはや不可能なのだろうか?


伝説の写真家と僕のスナップショットを比較しちゃイヤよぉ〜ん!

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