アケーディア国立公園(1981年夏) ニューヨークでの最初の夏休みである。最初にどこに行くかについては、日本では見られない雄大な自然をみたいという、おおまかな方針をたてておいた。友人の話しによると、初心者にはナイアガラとアケーディアがおすすめだという。ナイアガラはニューヨークから直行の飛行機便が頻繁にでていて、行こうと思えばいつでも一泊旅行ができる。最初はまずアケーディアからと決まった。ニューイングランドという、アメリカの故郷を思わせる言葉が好きで、そこを早い機会にみておきたい気持ちも強かった。
目的地に至る途中の訪問候補地については、往路でだいたいの感じをつかんでおいて、帰路で時間のゆるす限り寄り道して帰るのが私の方法であった。
コネティカットの都市は通り抜ける。ロードアイランドのプロヴ� �デンスから南に下った岬にニューポートという、かって捕鯨と交易で財をなした富豪の、豪奢なマンションが立ち並ぶ町がある。寄り道の第一候補地である。
マサチューセッツに入いる。プリマスに行くには途中からかなり東に寄り道しなければならない。そこはメイフラワー号に乗った清教徒が上陸した地点で、アメリカ植民地時代の故地である。ボストンを含めマサチューセッツの大西洋岸は、日本の奈良や京都に相当する古都であっていずれ歴史探訪の旅にくるであろう。ボストンも通りすぎる。この辺りの家並みはニューヨークやコネティカットの郊外に見たものとは違って、いくぶん小ぶりで古さを感じさせるように見えた。
いよいよメイン州にはいる。この州は南北にながく、北半分は三方をカナダと接している。� ��の南入口からおよそ80キロ北上したところがポートランドの町である。距離をのばして目的地まで行きたかったが日が暮れてしまった。宿をさがすには、町の数マイル手前か越えたところで降りるのがコツである。ローカルの道にはいり、最初に「ヴェーカンシー(空室あり)」というサインを見つけたところへ車をよせて、チェックインの手続をとった。
翌朝ポートランドの町を軽く見てまわった。白い尖塔の教会が簡素でよい。ヨーロッパ旅行を通じて、ゴシックの仰々しい大聖堂には食傷気味であった。アメリカの田舎の教会をみると、すき焼のあとの茶漬けのようなさっぱりした気分がする。赤煉瓦を敷き詰めた舗道に設けられた花壇には花が咲き乱れ、煉瓦造りの建物とよく調和してヨーロッパの雰囲気があった。
ポートランドから東へ200キロ、いよいよ目的地に近づいてきた。ハイウェイから離れてアーケディア国立公園に通じるローカル道に沿って、捕りたての活きたロブスターをその場でゆでて食べさせる店が並んでいる。店先には赤や青の浮が飾り付けられて、潮風とともに漁村の素朴な香りが漂ってくる。
ここはメイン州の大西洋岸、野球のミットのような形をしたマウント・デザート島を中心とした国立公園である。この土地には6千年もの前からワバナキ・インディアンが住みついて、冬は森にはいって狩猟し、夏は海岸にでて魚を獲っていた。1604年フランスの探検家サミュエル・チャンプレンが草木もみえない岩山に上陸し、この島をマウント・デザート島と名づけた。その後この地域はニューフランスと呼ばれるよう になる。
それから16年後の1620年、102人の英国清教徒をのせたメイフラワー号がマサチューセッツのプリマスに到着して、東部海岸の植民地が開拓されると、その一帯はニューイングランドと呼ばれることになった。北に根拠をもつフランス勢力とボストンを拠点として南に植民地を広げようとするイギリス勢力の狭間にあって、マウント・デザート島の土地にはいずれの側からも積極的な植民活動がなされなかった。
1759年、イギリス軍隊はフランス軍をケベックに破り、ニューフランスの呼称はニューイングランドに吸収され、マウント・デザート島の土地にも本格的な入植が始まった。ながらく漁村として静かな生活が続いたこの土地が、新鮮な魚と美しい風景をもつ観光地として東部の富裕な人々に知ら� �るようになるのは、さらに百年後の19世紀半ばのことである。
ロックフェラー、モルガン、カーネギー、フォード、ヴァンダビルトといった当時の新興財閥一家が夏をここで過ごすようになった。その後もアメリカの産業革命をになった事業家によりアケーディアには豪華な夏の別荘が建てられ、バー・ハーバーを中心にして魅力ある町つくりが進められることになった。1919年ウィルソン大統領によってミシシッピー川より東の地域としては初めての国立公園、ラファイエット国立公園が設立された。1929年に名をアケーディアと変更して現在に至っている。
島といってもかっての半島の先端が氷河のいたずらで孤立してしまっただけで、半日もあれば周囲や中央のパークロードをドライブしてみて回ることができ� ��。気にいった所があれば何度でも来ればよい。西洋人として最初にこの島をみつけたフランスの探検家は砂漠の山と名づけたが、それはたまたま草木のない山肌の斜面だけが彼の視野にはいったのであった。
実際山にわけいってみると、木々に囲まれた湖や池があり、クリークが流れ出る緑のやわらかな湿原があり、あるいはただの赤い岩の階段であったり、実に変化にとんだ島である。ちいさな谷川には手作りの味を残した石橋がかけられていて、島全体がひとつの庭のように、手入れが行き届いている。海岸は絶壁もあれば海水浴ができるきれいな砂浜もある。
入りくんだ地形は港にも適していて、東岸のバー・ハーバーの他に島の海岸線に沿って、シール・ハーバー、バス・ハーバーなど八つの港がある。小さな漁港では あるが、いずれの港もけなげでかわいい。私は漁港の風景が好きである。昼間で港に人の動きは少なかったが、碇泊している漁船や甲板にひきあげられた浮や網、そして巨大なねずみ取りのようなロブスター籠がニューイングランド北端の漁港の風情をかもし出していた。一番大きな港がバー・ハーバーという、端正な港である。19世紀の終わりのころはこの町に30ものホテルが建設され、避暑地の観光客で賑わっていた。
ここに宿をきめて町を散策することにした。桟橋の先までいってしばらく潮の匂いのなかに身を任す。ここからの朝日を見逃すべきではないと自分にいいきかせる。
食事が旅の目的ではないといっても、目の前にある土地の特産を避ける理由はない。盛りだくさんの魚介類のセットにクラム・チャウダー� ��フライド・ポテイト、それにビールを飲めば豪華な夕食になった。ロブスターは2パウンド、およそ1kgの大きさだ。溶かしたバターに浸けて食べる。味はカニにくらべるとすこぶる大味で、またカニのような甘味がない。バターの塩けがなければ1キロは食べきれない。
とにかく満腹以上の食事を終えて夜の商店街を散歩した。貝殻類の製品が多い。私は山伏のほら貝大の巻き貝を買った。内側は鮮やかなピンク色に貝殻特有の銀色の光沢を放っている。ピンクと肌色のたて縞に無数のイボがならんだ夏みかんのような球状の貝殻が目をひいた。ウニの殻だそうで、イボはウニのとげ痕だった。色といい形といいフローレンスのドゥオモ(大聖堂)の大円蓋に似ている。貝の下の口から電気コードが出ている。電源をいれると貝の中にとりつけられた豆電球がともり、貝殻全体が暖かな赤味を帯びた幻想的な光を放つ。卓上の飾り物としてはひじょうに結構ではないかと、それも買った。妻は大小の様々な貝のばら売りを寄せ集めていた。結局アケーディアの土産は貝ばかりとなった。
翌朝、妻と� �供がベッドで熟睡しているころ、私はカメラと三脚を持って1人モーテルを抜け出し、昨日ねらいを定めておいた港の桟橋の先端まで出かけて行った。三脚をセットして夜明けを待つ。東方の暗闇の海に漁船が数隻浮かんでいる。昇る朝日の逆光をうければいい絵になるであろう。しばらくして海面が輝き出した。船のシルエットが浮かび上がる。10分もすると海一面が表情をあらわにして、夜明けの風情は急速に衰えてくる。その間に数枚シャッターをきって、私の朝一番の仕事が終る。
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